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| 庭園鑑賞の豆知識 | 新緑の庭園リスト | 新緑を歩くコース(1) |
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新緑を歩くコース(3) |
庭園リンク集 |
| 新緑の庭園リスト 京都の名園 |
| 裏千家露地 | |
| 千少庵の子の宗旦が北裏に隠居所として今日庵を建てたのが始まりです。茶道家元の雰囲気を作り出している一間腕木門の表門の内側は、国の名勝となっている庭園が広がり、利休遺愛の三つ小袖石の手水鉢や利休灯篭などが配され、山里の佗しさを感じさせます。裏千家住宅として重要文化財となっている一群の建物は一畳台目の今日庵をはじめ4畳半の又隠、棟札に天明8年(1788)とある寒雲亭など歴代宗室家元の好みを反映しております。天明の大火後,天保10年(1839)ごろまでの間に再建されました。 | |
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| 修学院離宮 | |
| 17世紀中頃、後水尾上皇が比叡山麓に造営した広大な山荘。約54万5000平方メートルの敷地に上・中・下3つのお茶屋(庭園)から構成され、いずれも数奇な趣向の茶亭等が閑雅にめぐらせた池の傍らに立ちます。借景の手法を採り入れた庭園は我が国を代表するもので、自然と建物の調和が絶妙。 | |
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| 西本願寺滴翠園 | |
| 金閣、銀閣と共に「京の三名閣」の一つに数えられる飛雲閣内にある庭園。中に建てられ柿葺の三層からなる楼閣建築で、前面が滄浪池に面し、舟で出入りするようにつくられています。金閣・銀閣が左右対称であるのに比べ、建物全体の景観を非左右対称に配置し、不規則な中に巧みに調和を保ち、見る位置によっていろいろと変化させ楽しませてくれます。 | |
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| 藪内家露地 | |
| 茶家・藪内家は、武野紹?門下で利休の弟弟子にあたる剣仲紹智(けんちゅう)を流祖とし、代々西本願寺の保護を受け400余年の歴史を歩んでいます。現存する藪内家の露地や建物は、二代月心軒が西本願寺の門前町に屋敷を移した当時の様子を今に伝え、燕庵(えんなん)があります。燕庵の腰掛待合いの前にある中露地には、千利休の屋敷にあったものを初代藪中斎が小袖3つと交換したとされる「三ツ小袖石」というひときわ大きな飛び石があり、足利義政遺愛と伝えられる石燈籠「雪の朝(あした)」もあります。ほか、「戸摺石」「戸下石」といった珍しい石があります。中露地にある延段は様々な大きさの自然石を取り合わせた石畳で構成され、古田織部の茶室と共に写されたもので、織部燈籠もあります。 | |
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| 智積院 | |
| 江戸初期を代表する池泉廻遊式庭園は、中国の廬山を形どったといわれ、収蔵庫には、長谷川等伯一派による桜・楓図(国宝)など極彩色の障壁画を展示しています。千宗旦の次男宗守が寛文年間に造った武者小路千家の茶室。江戸期に3回焼失、明治初めに再建。官休庵ほか半宝庵、環翠園、祖堂、弘道庵など名席を飛石でつなぎ、中門の「編笠門」石灯籠などを含め露地庭園は雅趣に富んでいます。 | |
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| 金戒光明寺・西翁院露地 | |
| 天正12年(1584)に、光誉清玄を開山として創建。茶室「淀看席」は重文で、かつて下地窓から伏見、淀川まで遠望できたといわれています。侘茶の奥義を極めた藤村庸軒が作った茶室で、閑雅な造り。席は三畳で、床前二畳と手前座が中壁で仕切られているところが大きな特徴で、この囲みは「宗貞囲」と呼ばれています。広々とした裏地には庭木も少なく、高台からの眺望を大切に考えた飛石・敷石本位の作庭といえます。 | |
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| 仁和寺 | |
| 本坊にある御室御所御殿は御所風たたずまいで、豪華な障壁画が見事です。仁和寺庭園の東西にくびれた池は南北朝の典型な特徴を示します。また、石組には元禄時代の手法が残ります。木立の奥には江戸時代建築の重要文化財建造物である飛濤亭があります。仁和寺にある光格天皇遺愛の席と伝えられる四畳半の茶室と水屋・台所からなる草庵式本位の茶席です。同じく江戸時代建築の重要文化財建造物である遼廓亭は二畳半代目の茶室と広間・水屋等からなる草庵風と書院式を加味した茶席。仁和寺門前の尾形光琳邸から移したと言われています。その露地庭は築山に小池をうがち、飛び石と延段を配した書院式茶庭である。遅咲きの「御室桜」は有名で名勝。 | |
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| 東福寺普門院 | |
| 東福寺本坊の庭園は、重森三玲の作庭による4つの枯山水。「八相の庭」と命名されています。力強い石組の南庭、苔と石や白砂と刈込の市松模様の北庭、西庭、北斗七星の東庭。意匠はそれぞれに斬新。普門院は開山堂の西に位置する寝殿造風の建物で、開山国師常住の方丈とつたわります。内部は三室に仕切られ、その襖絵は花鳥草花・唐人物を主題とし七十四面(重要文化財、桃山−江戸)からなる、画流各派の競作が残されています(現在は収蔵庫に収納)。開山堂・普門院をはじめ、書院、庫裏、楼門、裏門そして鐘楼を合わせて全7棟が、国の重要文化財に指定されています。 | |
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| 大徳寺・芳春院 | |
| 客殿背後の庭園は市内でも珍しい楼閣山水庭園で、「飽雲池」と称し、杜若や睡蓮が美しく映える庭です。1617年(元和3)、横井等怡と小堀遠州の作と伝えます。打月橋で結ばれ池中に立つ二重楼閣建築の呑湖閣は春屋宗園の昭堂で、庭と同年の建築だが、現在の建物は1804年(文化1)に再建されたもの。金閣・銀閣・飛雲閣と並んで京の四閣と称されます。 | |
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| 官休庵露地 | |
| 武者小路千家の茶室。江戸期に3回焼失、明治初めの再建。官休庵ほか半宝庵、環翠園、祖堂、弘道庵など名席を飛石でつなぎ、中門の「編笠門」石灯籠などを含め露地庭園は雅趣に富みます。露地は南面の西から東へ、更に北へと奥深く細長く続きます。弘道庵は渡り廊下をへて東隣にあり、南北の露地を挟む形となっています。さらに北には二階建ての茶室、起風軒があります。露地の南東隅には外腰掛並びに下腹雪隠があり、北端に南向きの内腰掛が設けられています。表玄関からは弘道庵寄付にすぐに入ることになります。 | |
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