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新撰組の足跡を訪ねて 島原~西本願寺

文慶応元年、壬生から西本願寺へ屯所を移した新選組。
不動堂村に屯所を移すまでの約2年間、
ここで生活したが境内で豚を飼ったり軍事訓練をしたり、
かなりのお騒がせ集団だったらしい。

今回は新選組記念館館長の青木さんのご案内で隊士も遊んだ島原から、
第2次屯所が置かれた西本願寺までを歩いてみた。


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其の弐~島原~西本願寺編~

おすすめコース


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壬生編より続き】

(壬生寺)
  ↓(徒歩12分)
JR丹波口駅
  ↓(徒歩3分)
新選組記念館
  ↓(徒歩4分)
島原西門跡
  ↓(徒歩3分)
角屋
  ↓(徒歩5分)
輪違屋
  ↓(徒歩2分)
島原大門
  ↓(徒歩5分)
島田魁家跡
  ↓(徒歩5分)
西本願寺
  ↓
不動堂村編へ続く

 

新選組記念館(しんせんぐみきねんかん)

中堂寺坊城郵便局を下ると手書き文字のノボリがはためく町家が見えた。
ここが予約していた新選組記念館

ドキドキしつつ中に入ってみると玄関に沖田総司の色紙と女の子の紙人形があった。
他にも新選組のドラマ・映画のパネルが雑然と並んでいる。ますますドキドキ感がつのってきた。

入館料を払うと館長の青木さん自筆の大津絵、好きな隊士の名前と流派入りの短冊と
絵馬
がいただける。手作りの暖かみに溢れたお土産にほっこりする。

1間目はズラリと並んだ新選組や幕末関係の小説・マンガ・雑誌・資料の山山山!!
ほとんどが館長の青木さんのコレクションだが、ファンの方が送ってくれた本もあるという。
中には絶版になっている貴重な本もあり、新選組のミニ図書館の趣だ。
日野から取り寄せたという「新選組」という名の日本酒(¥2500-)も販売している。
女性のファンが買い求めて行くことが多いそうだ。

奥の2間は青木さん自作の新選組パネルが所狭しと展示されている
中島登の隊士絵姿のパネルもあったそうだが、今は貸し出し中だそうだ。
隊士や新選組の関わった事件、ゆかりの史跡の紹介などなど、
とても詳しいパネルを読んでいると、時の経つのを忘れてしまいそう。

2階は町家ペンションあおきになっている。

館長の青木さんは幕末ばかりでなく歴史全般に詳しい。
新選組や歴史全般、京都の町屋についての講演会もされているそうで、
話がとてもわかりやすくて面白い。帰ろうとしたところに、
壬生寺の掲示板で見たという女の子2人組が見学に来て、またまた歴史の話に花が咲いた。

「これから西本願寺~不動堂村に取材に行く予定です。」と言うと青木さんが、
「私もこれから京都駅に向かう所です。新選組史跡を案内しましょうか?」とありがたい一言。
お言葉に甘えて、私たち3人は「島原~不動堂村・新選組史跡巡りの旅」に
案内していただく
ことになった。

住所:下京区五条通坊城下ル
TEL:075-344-6376
入館料:500円
見学希望時はTELにて要予約
アクセス:JR嵯峨野線丹波口駅より徒歩3分
はためくノボリが目印 館長の青木さんと自作の新選組パネル 新選組の小説やお酒が並ぶ
はためくノボリが目印 館長の青木さんと自作の新選組パネル 新選組の小説やお酒が並ぶ

島原西門跡(しまばらにしもんあと)

新選組記念館を出ると、牡丹雪が舞っていた。
寒さに震えながら館長の青木さんのご案内で、島原に向かう。
いつもは島原大門から入るが、今回はJR山陰線の線路側から入った。

住吉神社の鳥居の脇に「島原西門碑」という石碑が建っている。
西門も近年まで保存されていたそうだが、昭和52(1977)年交通事故によって全壊し、
門柱のみが復元された。しかし、平成10(1998)年再び交通事故によって壊れてしまったそうだ。
近くに中央市場があって大型車両の出入りが激しいことが原因らしいが、残念なことだ。

壬生に屯所があった頃の新選組隊士達は西門側から入ることが多かったのではないだろうか?
壬生から島原までは徒歩15分くらいだ。

住所:下京区千本花屋町一筋上ル東入ル
交通事故で何度も倒壊した島原西門。かつてはこのような姿だった
交通事故で何度も倒壊した島原西門。かつてはこのような姿だった

角屋もてなしの文化美術館(すみやもてなしのぶんかびじゅつかん)

「島原で遊ぶのには莫大なお金がかかりました。新選組隊士もそうそう足を運べなかったでしょうね。
昔はこの辺りは一面の壬生菜畑で、壬生の屯所からも島原の灯りが見えました。」

金のない平隊士達は、島原のあかりを羨ましそうに眺めているだけだったとか・・・。
壬生にも安い遊郭があって、平隊士は壬生の方に遊びに行くことが多かったそうだ。
島原になじみの女がいた隊士達はたとえ幹部であっても資金繰りが大変だっただろうな。

角屋の前には「久坂玄瑞密議の角屋」という石碑が建っている。
豪商達がバックについていた長州や薩摩の方が金払いが良く、島原でもてたそうだ。
遊びだけでなく、各藩の会議の場としても使われた揚屋・角屋
時には長州の志士達と新選組の来場が重なることもあり、
女達は鉢合わさせないように気を使ったとか。

芹沢鴨は角屋での大宴会の後、酔って帰ったところを暗殺されている。
伊東甲子太郎斉藤一永倉新八が3日間居続けて近藤・土方らの怒りを買ったのも
この角屋である。それだけ魅力的な場所なのだろう。

角屋もてなしの文化美術館現在は休館中だが、3/1~は再び公開される。

去年見学した時は、絢爛豪華な世界に感動したものだ。
新選組関係では入り口と二階の刀傷近藤勇の作と伝わる素朴な筆致の和歌の短冊
掛け売り禁止の古文書、ツケを完済した内容の古文書、芹沢鴨が斬りつけようとして暴れた
臥龍の松、近藤勇が愛用した二階の青貝の間(要予約+800円)が見学できる。

住所:下京区西屋敷揚屋町32
TEL:075-351-0024
開館時間:10:00~16:00
休館日:月曜日・12/16~2月末、8月
(現在休館中)入場料:1000円(青貝の間は+800円で要予約)
角屋外観。この中に魅惑の世界が・・・。 久坂玄瑞(長州)密議の角屋
角屋外観。この中に魅惑の世界が・・・。 久坂玄瑞(長州)密議の角屋

輪違屋(わちがいや)

島原には一般民家や旅館でも風格のある家が多い。「この家やあの旅館も元は置屋でした。
京都らしい間口は狭く、奥行きがある造りです。最盛期には30人以上の遊女を抱えてはりました。」

花屋町通を戻り、坊城通を上がったところに輪違屋(非公開)がある。
赤の輪が二つついた軒灯りが印象的な建物だ。ここは現在も営業中のお茶屋で
前回訪れた時は玄関に沢山の靴が並んでいた。5人の太夫さんが現役で在籍しているそうだ。

幕末には新選組隊士も輪違屋の妓と遊んだ。
平間重助は芹沢鴨暗殺事件の時、輪違屋の糸里と寝ていた。
伊東甲子太郎は輪違屋の花香太夫をなじみにしていたそうだ。
近藤勇が「江戸繁盛記」の文章を手習いで書いたものが保存されている。

尚、輪違屋は妓達が在籍する置屋、前出の角屋は妓達を呼んで饗宴の場となる揚屋である。

住所:下京区西屋敷中之町114
内部非公開
新選組隊士も訪れた輪違屋
新選組隊士も訪れた輪違屋

島原大門(しまばらだいもん)

島原大門。現在はたなびく柳が印象的だが、当時は「見返りの松」と呼ばれる松が植えてあった。
遊女と客はここでお別れ。客が何度も松を振り返ったところから付いた名前とか・・・。

「大門が島原の境界線で遊女達はここから外へ出ることはできませんでした。
客と別れを惜しむ女達や客引きをする禿の姿も見られました。」
新選組隊士達もここで馴染みの女と別れを惜しみ、何度も振り返ったのだろうか?

門の横には石の水槽の上に桶が積み上げられている。
「この桶は火消し用です。火事が起こるとこの桶に水を汲んで
バケツリレーのようにして消火したものです。」
そういえば、角屋の中にも桶が積み上げられていた。
島原では寝タバコが原因で火事が多かったそうだ。

住所:下京区大門通花屋町


大門を出たところにあるクリーニング屋さんに「清潔洗い」と書かれたダンダラ模様のノボリ
はためいていた。「新選組ファンを狙っているのかな?」同行のお姉さんがつぶやいた。


青木さんが島原近辺の地名について話して下さった。
「この辺りは二人司町(ににんつかさちょう)といって、亡くなった2人の太夫の塚があったそうです。
”二人塚(ににんづか)”が訛ってついた町名なのでしょう。」
柳たなびく島原大門 火消し用の桶 クリーニング屋さんのダンダラノボリ
柳たなびく島原大門 火消し用の桶 クリーニング屋さんのダンダラノボリ

島田魁家跡(しまだかい いえあと)

花屋町通を東に入って大宮通に出る1筋手前に細い路地がある。
この路地の奥に島田魁が住んでいました。戸籍もきちんと残っています。

島田魁は新選組の伍長で、古くからの幹部。
土方歳三に従って函館まで行ったが降伏し、後、妻の実家のある京都に戻ってきた。
商売を始めたがうまく行かず、知人のツテを頼ってかつて屯所があった京都西本願寺の夜警となった。

この路地は当時とほとんど変わっていないという。
隊一の巨漢・島田魁が狭い路地を通って出勤する姿を想像するとほほえましくなった。

住所:下京区大宮旧丹波口下ル
島田魁の家はこの辺り?今では狭い路地
島田魁の家はこの辺り?今では狭い路地

西本願寺(にしほんがんじ)

島原口のバス停を過ぎ、大宮通を渡ると花屋町通りが少し北にずれていた。
更に東へ。歩道を塞ぐように「新開街路碑」が立っている。
「この道は明治になってから作られました。」雪が更に激しくなってきた。
右手は西本願寺の敷地だ。

慶応元(1865)年3月、新選組は壬生から西本願寺境内に屯所を移した。
隊士の人数が増え、壬生の屯所では手狭になったこと、壬生郊外にあったため、
市中取り締まりに不便を感じての移転だった。
東北角の北集会所(姫路市の本徳寺本堂として現存)と太鼓楼が屯所に使われた。

集会所は現在の総合庁舎と参拝会館の辺りにあった。
太鼓楼は当時と同じ場所に現存している。
新選組は境内で豚を飼い、鍋を作ったり、軍事訓練をしたので、
音や臭気で寺側では大変迷惑したという。

慶応3(1867)年6月に新選組は近くの不動堂村へと屯所を移しているが、
移転費用は西本願寺さんが全面的にバックアップしたそうだ。
金を払ってでも出ていってほしかったんやろな。
壬生の八木家にも前川家にも、そして西本願寺さんにとっても、
新選組の来襲?は大迷惑な出来事だったのだ。

又、明治になって島田魁が守衛として勤務し、72年の生涯を終えたのも西本願寺の境内である。

→西本願寺さんのホームページはこちら

住所:下京区堀川花屋町下ル
TEL:075-371-5181
拝観時間:5:30~17:30
拝観料:境内無料
西本願寺太鼓楼 最近太鼓楼の説明板が立ったが、新選組屯所のことは一言もない。
西本願寺太鼓楼 最近太鼓楼の説明板が立ったが、新選組屯所のことは一言もない。


* →新選組について(隊士の情報、大事典、詳細年表等)詳しくは新選組の史実を追求するサイト「幕末維新新選組」様の屯所内をご覧下さい。

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※このページの掲載情報は、取材時のものであり、現在のもの、歴史上の事実とは異なる場合がございますので、ご了承下さい。参考としてご覧頂きますようお願い申し上げます。

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