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龍馬の恋愛事情

龍馬をとりまく女性たち

龍馬の心を動かし、励まし、支えた女性たち。
彼女らの共通点は、男性より一歩引いておとなしく控えているというよりは、当時としては個性の際立った気丈なタイプの女性が多かったのではないでしょうか。

楢崎龍(お龍、鞆)

坂本龍馬の妻となった女性。青蓮院宮に仕える医師・楢崎将作の長女として生まれましたが、
長男がまだ幼少の頃に安政の大獄で父が獄死し、一家は離散。
母と幼い兄弟を養うため、料理屋で働くなど各地を転々とする中で龍馬と出会います。
自由奔放な性格を龍馬に気に入られ恋仲となり、その後龍馬によって寺田屋に預けられ、
そこで奉公しながら暮らします。


寺田屋事件の際には、入浴中にも関わらず龍馬に危機を知らせ、窮地を救ったというエピソードは有名です。
その後、二人は龍馬の湯治を兼ねて薩摩旅行へと旅立ちます。


龍馬の個性を表すエピソードとして、龍馬は姉・乙女宛ての手紙にお龍の事を「まことに
おもしろき女」と紹介しています。また、妹・光枝が騙されて大坂の遊郭に連れて行かれた際には、
お龍は単身で乗り込み、妹を連れ戻したという逸話があります。


◆龍馬とお龍のなれそめ
父の死後、お龍は七条新地の扇岩という旅籠で働き、母と妹・君江は、現在の東山区本瓦町付近に
あったという河原屋五兵衛の隠居所に集まっていた土佐亡命志士達の賄いのため、住み込みで働きました。
龍馬も中岡慎太郎と共にこの隠居所に潜伏していたといい、お龍の母親を通じて二人は出会ったのではないでしょうか。

明治32年頃に聞き取られたというお龍の回想録「反魂香」によると、元治元(1864) 年8月初旬、
龍馬とお龍は青蓮院塔頭の金蔵寺で内々の祝言を挙げたといいます。
そこは、亡きお龍の父・楢崎将作ゆかりの場所でした。

その後、龍馬はお龍を伏見の寺田屋に預け、薩長同盟に向けて奔走します。
龍馬とお龍が出会ったのは元治元 (1864) 年の5月頃といわれ、それから約3ヶ月後のスピード婚。
そして、二人の出会いから龍馬が暗殺されるまで、わずか3年ほどのことでした。


◆龍馬の死後、お龍は
移住した下関でお龍は龍馬の死を知りました。自分の頭髪を切って墓前に供え、泣き伏したといわれています。
龍馬の生前からの意思により、お龍は三吉慎蔵の自宅に引き取られた後、龍馬の故郷の坂本家に
送り届けられましたが、まもなく京に戻ってしまいます。
このとき、龍馬から貰った多くの手紙は全て燃やしてしまったといいます。
それからお龍は西郷隆盛や海援隊の人々等を頼って神奈川へ流れ、30歳のときに
商人・西村松兵衛と「ツル」という名で再婚。横須賀で暮らしました。


◆晩年のお龍
晩年のお龍は酒に溺れていたといい、66歳で亡くなります。
お龍の遺骨は横須賀市の信楽寺と龍馬の墓のある京都霊山護国神社に分骨され、妹と夫によって
建てられた信楽寺の墓碑には「阪本龍馬之妻龍子」と刻まれています。

平井加尾

龍馬の幼なじみで、初恋の相手と言われています。土佐勤王党の平井収二郎の妹。
前土佐藩主・山内容堂の妹・信受院が三条公睦に嫁ぐ際に付き人として共に上洛し、
三条家に仕えました。後に大隈重信内閣で警視総監を務める西山志澄を婿養子に迎え、
一女に恵まれました。

千葉佐那(佐那子)

龍馬と婚約していたとも伝えられる女性。龍馬が修業した北辰一刀流千葉道場の娘。
兄の重太郎と共に弟子の指導にあたり、その美しさと男に負けない剣術の腕前から、
「千葉の鬼小町」と呼ばれました。乙女に宛てた龍馬の手紙にも、剣も強く顔立ちは
加尾より少し良い、と記されています。

龍馬の死後も生涯独身で過ごし、山梨県の清運寺にある墓石には「坂本龍馬室」と刻まれています。
「室」とは妻を意味する言葉です。

お元

龍馬がひいきにしていたという長崎の花街・丸山街の芸妓。
長崎にある亀山社中に龍馬が出張していた際に出会ったとされています。
「龍馬伝」の解説では、龍馬と後藤象二郎が歴史的和解をした会談に同席していたとも
言われる、とあります。

坂本乙女

龍馬の良き理解者で、最も多くの手紙を書いた女性。坂本家の三女で、龍馬の3歳上の姉。
身長約174cm、体重約112kgであったといわれ、大柄な女性だったようです。泣き虫だったという
龍馬を母親代わりとなって厳しく鍛えました。
龍馬の脱藩後も手紙のやりとりの中で龍馬を励ましますが、その一方で嫁ぎ先とは上手くいかず、
離婚して実家に戻ったといいます。

お登勢

龍馬やお龍を保護した伏見の「おかぁ(母さん)」的存在。幕末期の寺田屋の女将。
実家が大津の旅館で、伏見の船宿・寺田屋に嫁ぎましたが、放蕩者の大酒飲みで若死にした夫に代わり、
寺田屋を取り仕切ります。
龍馬ら志士達を匿い、2度も起こった寺田屋事件をも経験しながら寺田屋を営みました。
龍馬がお龍を預けたのも、お登勢に大きな信頼を寄せていたからでしょう。

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