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錦市場特集 「錦」を知る

平安時代から賑わっていた

錦小路は平安京ができた頃から存在し、既に市も立っていたそうです。
それは、豊かな地下水に恵まれていた事で魚や鳥の貯蔵がしやすく、また都の中心部かつ御所に比較的近いという好立地だったからです。道幅は今の約4倍もあったそうです。

綾小路に対して「錦小路」

『宇治拾遺物語』によると、最初は、「具足小路」という名前だったようです。
「具足」とは、家具や調度類のこと。
現在の名称になったのは、当時の帝(村上天皇もしくは後冷泉天皇か)が四条通りの南側にある綾小路に対して「錦小路」と改められたためと言われています。

豊臣秀吉が再興

室町時代になると、米座、油座といった「座」ができましたが、応仁の乱で荒廃してしまいました。
後に、豊臣秀吉の京都改造によって再興します。

「京の三店」に数えられる

江戸初期には幕府より魚問屋の称号が許され、後に椹木町通りの上之棚、現在の六条通りの五条之棚と共に「京の三店(さんたな)」と呼ばれ、大いに賑わいました。
また、野菜を栽培する近郊農家が参入し、魚や肉に青果と、現在の市場に近い姿となっていきます。

競合を避け、共同体として結束へ

明治期に入ると、時の京都府知事・北垣国道は市場の人々に「魚鳥干物商組合」を結成させ、共同体としての結束を作り上げました。

小売り店も誕生、バラエティに富む

昭和の始めには京都中央卸売市場が開設され、錦の卸売業者の多くが移転しましたが、残った店と新規参入店が協力して組織を作り、卸問屋だけではなく、小売り専門の店舗も誕生しました。

京の名水「錦の水」

錦小路の地下には豊富な水が流れており、冷蔵庫等が無かった時代には、その水で魚などを冷やしたりしていました。
錦小路を見守る錦天満宮には、地下約300メートルから湧き出ていると言われる京の名水「錦の水」があります。水温は年中17.8度を保ち、無料で汲む事ができます。

錦の水
京の名水 

現在では協同の井戸として、私達が歩いているこの狭い通路の下に地下水用のパイプが通っているそうです。
伏見の酒に京友禅に茶の湯…京の都が豊かな水脈と共に発展してきたように、この水が錦を支えて来たんですね

錦と祇園祭

祇園祭の御霊を載せた御神輿は3基あり、そのうちの西御座は主に錦市場の人々によって担がれているので、7月24日の還幸祭には神輿が錦市場の中を進みます。

とは言っても、八坂神社と錦市場とはちょっと距離が離れていますよね。
そのいきさつは、その昔、八坂神社のお神輿は千本にある木場さん(材木商)が預かっていました。それを、祇園さんの分社が祀られている地域へとそれぞれ預ける事になってから、現在では西御座(錦神輿会)、中御座(三若神輿会)、東御座(四若神輿会)の3つの組織が神輿を担いでいます。

e-kyoto「祇園祭お神輿」»

祇園祭御神輿
祇園祭御神輿
祇園祭御神輿
祇園祭御神輿

錦生まれの絵師・伊藤若冲

ここ数年の現代人の間で人気がブレイク中!?の江戸中期の画家・伊藤若冲は、高倉錦小路の南東角にあったという大店の青物問屋「桝源」の長男として生まれました。
現在のこの店の辺りでしょうか?
家督は弟に譲り、自身は絵を描く事に専念しましたが、彼の代表作『動植綵絵』の中の「群魚図」は、全ての魚が全く同じ方向を向いて描かれています。
これは、魚屋に鮮魚が並ぶ錦小路に育った影響ではないか、との説も!?

伊藤若冲

パリ・ミラノコレクション in 錦小路

平成12年の3月、錦市場を舞台に「パリ・ミラノ2000-01年秋冬コレクション」が開催されたそうです。
 

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