現在トロッコ列車が走っている線路はその昔、京都政財界の大御所・田中源太郎氏が敷設した京鶴線(旧山陰本線)の一部でした。
1989年に山陰本線(嵯峨野線)の嵯峨(現在の嵯峨嵐山)〜馬堀間が新線に切替えられ廃線に。
しかし、保津峡谷を縫って走り、車窓から素晴らしい景色で乗客を楽しませてきたこの廃線区間を観光用に開発する事になりました。

錆びた線路、朽ち果てた枕木等、路線を整備して沿線に桜を植樹、木々や草の手入れをして、9名の職員の手作りによって1991年、再スタートを切りました。
「乗客はせいぜい20余万人程度しか来ない」「3年ももたない」等と言われていましたが、開業初年度はなんと、68万人もの人が押し寄せたといいます。
沿線に植えられた桜並木、ライトアップや列車案内等の温かなおもてなしと保津峡の景観は今も守られ続け、海外からの乗客も含め例年90万人がトロッコに乗って出発進行しています。
蓮華岩を越えた先にあるこの橋は、建設当時「アジアで最も大きい橋」と言われていました。レンガ造りに風情がありますね。
新たな動力の出現によって、一時は衰微を辿った保津川下りと旧山陰本線。
復活をかけて多くの人が難工事に流した汗と涙の末に、移動の手段からエンターテイナーとして姿を変え、京都観光の人気と共に今もなお、ますますの盛況ぶりをみせています。
櫂を握る船頭さんの手、沿線に桜と紅葉を植え続ける人たちの手。
四季折々の保津峡の景色と、駅員や乗客同士の触れ合い。
豊かで便利になった世の中を高速で突っ走って来た私達は、線路のあちこちでいつの間にか落としてきたものを、拾い集めに来たのかもしれませんね。
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