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京都映画スポット■現在の京都の映画撮影所
現在の京都には、太秦に
■かつての撮影所は今・・・
・京都で初めての映画撮影所・・・「二条城撮影所」
京都の撮影所第1号(日本では4番目)は、「二条城撮影所」でした。 撮影所開きに公開されたのが「忠臣蔵(全通し版)」だったといいます。 二条城撮影所は、名前・形を変えながらあちこちに移転、変貌していきます。
大映の代表作品『羅生門』の受賞記念碑。 左がアカデミー外国語映画賞のオスカー、右がヴェネチア国際映画祭のグランプリ・金獅子です。
「大映株式会社 京都撮影所」の門標は、当時とほぼ同じ位置にあるのだそうです。 なお、大映は2002年まで存続し、現 角川映画株式会社の前身となりました。 ■京都唯一、お寺の中の撮影所「マキノ等持院撮影所」 1921年、牧野省三が等持院境内に建設した京都で唯一、お寺の中にある撮影所です。 (跡地には民家が立並び、等持院墓地の南西隅に「マキノ省三先生像」があります) ■その他の撮影所昭和初期には、太秦周辺を中心に、実に多くの撮影所がありました。 「松竹下加茂撮影所」、「マキノ御室撮影所」、「双ヶ丘撮影所」「千恵蔵映画撮影所」、「宝プロ撮影所)」、「日本電波映画撮影所」など。 (参考リンク)「洛西撮影所INDEX」 ■日本の劇場映画の発祥地「千本座」昭和初期には、太秦周辺を中心に、実に多くの撮影所がありました。
座長・牧野省三が旅役者の尾上松之助をスカウト、後に忍者やチャンバラ映画を大ヒットさせ、尾上松之助は映画スター第1号、千本座は「日本の劇場映画の発祥地」に。 戦後、千本日活と改称、西陣京極一帯は映画の街(北野劇場や西陣大映、昭和館、など)として栄え、マキノ映画は全盛時代を迎えました。 かつての千本・新京極界隈は二大映画館街とも呼べるほどの活動写真館があったそうです。 (現在、千本座跡は大手生活雑貨店とマンションが建っています) 現在映画館はたった1軒のみ(注:成人映画です。) 日活がロマンポルノ路線を打ち出していた頃の名残でしょうか。 (参考リンク)「劇場・映画館の昔の姿」
近年、二条駅の近くには「BiVi二条」、新京極には「MOVIX京都」(Northは旧「松竹座中京劇場京都座」で後の「京都ロキシー」、Southは旧「京都明治座」で後の「京都松竹座」)というシネマコンプレックス(複合映画館)が誕生し、映画館の新しい時代を感じさせます。 (参考リンク)「映画のまち新京極」 ■その他の映画スポット[注目の新映画スポット!伏見桃山城が大坂城に変身!]2003年に「伏見桃山城キャッスルランド」が閉鎖して以来、京都市民の強い希望によって取り壊しを免れ、伏見のシンボルとして生き残った伏見桃山城の模擬天守閣(現在、内部は公開されていません)。
その伏見桃山城が今、大坂城に変身しようとしています! ・・・というのは、淀君を主人公とした来年のお正月映画『茶々』の撮影のため、東映が改修費用を出し、全面的に塗り替えられることになったのです。
伏見桃山城は文化財指定を受けていないので、撮影のために篝火を焚く事もできたりと、時代劇ロケ地としては魅力的。最適の映画スポットとなるかもしれませんね! [太秦界隈]もはや説明は要らないでしょう。 金閣寺や清水寺と同じくらい修学旅行生に人気のスポット!?
[三吉稲荷神社]
撮影所の造営によって周辺の竹藪が無くなり、行き場を無くした狐や狸を弔うために建立された神社。玉垣に当時の映画スターの名前が刻まれています。
また、日本映画の父・牧野省三史の石碑も建っています。
[大映通り商店街]国宝第一号である『弥勒菩薩』で有名な広隆寺〜帷子ノ辻間にある商店街で、かつては時代劇の役者達が装束姿のままで歩き廻る姿が見られたといいます。
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