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| 建仁寺について・アクセス | 建仁寺を歩くコース | 建仁寺データ |
| 常光院 | 正伝永源院 | 方丈(本坊) | 法堂 | 茶席・東陽坊 | 両足院 | 開山堂 |
| 三門 | 浴室 | 禅居庵 | 摩利支尊天堂 | 勅使門 | 霊洞院(僧堂) | 六道珍皇寺 |
| 禅居庵から摩利支尊天堂へと出られます。 | |
| 摩利支尊天堂 | |
| 1333(元弘3)年清拙正澄禅師を開祖とし小笠原信濃守貞宗が建立しました。インド古来の開運勝利の神・摩利支尊天を祀っています。「摩利支天像」は1326(嘉暦1)年に北条高時の詔により中国から日本へ渡るに際し清拙正澄禅師が袈裟に包んで無事に将来したと伝わっています。 本堂の摩利支天堂(室町時代に建立)は中世の禅宗様仏殿としては、貴重な遺構とされる唐様仏殿です。明治末年に書院改造の際に書院の西部に作られた龕破の席の茶室があります。
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元の清拙正澄禅師のお手製(!)と言われるこの摩利支尊天の像。 金沢の宝泉寺、上野の徳大寺と並ぶ、日本三大摩利支天の一つです。 禅師が海岸で、自分が招かれている日本へと思いをはせていた時、この尊天が猪の背に座した姿で表れ、「東の国には縁があります。私も一緒に行ってあなたを護るから、末世の人々を救い、国家を守ろう!」と禅師をプッシュしてくれたそうです。 その時の尊天の姿を、禅師は形に留めておこうとしたのです。 そのお姿を拝見してみましょう! お、驚くほど小さい…。 摩利支天は、陽炎を神格化した女神(女だったのか…)なので、本来人の目には見えない存在なので、仏典でも摩利支天は「できるだけ小さく造形するように」と指示されているそうです。 摩利支尊天の6つの手にある弓矢剣は、悪魔を降服し怨賊を滅し、絲針は女人の手技を助けて陰口の唇を縫い閉じ、無憂樹(ムユウジュ。釈迦の母・摩耶夫人が無憂樹の木から花を一枝折ろうとした時、左脇腹からお釈迦様が生まれた)は五穀を稔り豊かにして万民の飢餓を救うのだそうです。なんて多才な神様なんでしょうね! 摩利支尊天についてはこちら 境内には尊天のお使いとされる猪が祀られているため、「狛いのしし」が見られます。 亥年生まれの守護としても信仰を集めています。 |
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| 勅使門 | |
柱や扉に戦乱の矢の痕があることから「矢の根門」または「矢立門」と呼ばれています。銅板葺切妻造の四脚門で鎌倉時代後期の遺構を今に伝える重要文化財となっています。
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間近に見られなくて残念でうが、あの小さな凹みがたくさん見られるのは、矢の痕なのでしょうか? だとしたら、結構激しく…(汗)。 |
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冥界へ通じているという六道の辻の井戸はどこかと思いきや、本堂脇の扉越しに見学するんですね。う〜ん、眺めるにはちょっと遠い景色だけど、手前の蹲から涼しげな音が聞こえてくるのが気持ちいいです。 簡単には近づけない、というところがこの井戸をミステリアスに見せます。 |
| こちらが迎え鐘。壁越しに打つのもまた、ミステリアス! | |
直接お話する機会は少なかったものの、お見かけした僧侶の方はどの人も自然体。 境内には、法堂の外の片隅に座って足をぶらぶらさせながら涼む浴衣の女の子、取り留めもない話をのんびりと語る若い男女の学生さん。 公開していない塔頭が多いので、訪れる前は堅いイメージを持っていましたが、どことなく、おおらかさを感じるお寺でした。 |
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