|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]()
![]() ![]() ![]() ![]()
![]()
![]()
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 鉾町周辺マップの印刷用はこちら |
| 祇園祭への参加を目指し、1996年に誕生した女性だけの囃子方による「平成女鉾清音(さやね)会」。八坂神社より櫛稲田姫命をご神体として迎え、函谷鉾の囃子方の指導のもとで、日々練習を重ねています。 かつて、2005年まで開催されていた「京都まつり」では、鉾巡行で参加した事もあります。 2007年の3月、平成女鉾清音会10周年イベントとして、平成女鉾が新風館の中庭に建てられました! これは2000年・2001年に京都駅ビルに建てられて以来のことです。 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 新風館を山鉾町に、来館者を町衆に見立てて、鉾の組み立てやお囃子を披露するというものでした。 各鉾町内の少子化や高齢化が進む中、老若男女を問わず祇園祭を愛する誰もが「町民」として関わることができる平成女鉾の、まだ漆も塗られていない白木のままの清々しさは、未来を模索する祭の姿を象徴しているかのようでした。 現在、平成女鉾清音会は、毎年祇園祭の期間中の7月下旬頃(2008年は7/27 15時〜15時半)、八坂神社へお囃子を奉納しています。 お問い合わせ:sayane-k@a7shes.net (平成女鉾清音会 事務局・京都市下京区四条通烏丸西入ル函谷鉾ビル4階) |
| 天明、幕末の大火によって、その山や資料を焼失。 財政的、人員的な理由等で復活・運営が困難で、現在は巡行には参加せず、 焼け残った懸装品を飾りながら出番を待ち続けています。 |
| 布袋山 | 大船鉾 | 鷹山 |
| お飾り:7/1〜/17 | お囃子:7/13〜/16 | お飾り:7/15 |
![]() |
![]() |
![]() |
| かつての山がどの様な形態であったかは現在のところ不明ですが、『祇園祭礼巡行図巻』によると、布袋さんのかぶり物で巡行に参加している様子が描かれているそうです。 噂によると、いつかその布袋さんの巡行参加を復活させようという動きがあるとか...? 7/1〜/13は山に関連するもの、7/13〜/17には布袋像と二童子が飾られます。 近年、布袋山の護符の版木が確認されました! |
かつて後祭のトリを務めていたといい、その形は御神体の神功皇后の出陣神話に由来しています。現存する船鉾「出陣の船鉾」に対して「凱旋の船鉾」と呼びます。 『増補祇園会細記』によると船首には龍の頭を飾っていたとか。 10年程前から、町内の若手からの希望により、岩戸山の指導のもとでお囃子が復活しています。 現在居祭は行っていないため焼け残った懸装品と神面等は見られませんが、お囃子は池坊学園、新町四条下ルの京都友禅ビル1階駐車場にてを聴く事ができます。 安産のお守りである腹帯も授与されます。 大船鉾に関するH.Pはこちら |
「鷹匠」「樽負」「犬飼」の御神体が並んで飾られます。 この「鷹匠」と「犬飼」は、源頼朝、もしくは在原行平と言われ、真ん中の「樽負」は粽を食べているという、ユニークなもの。 『細川家絵巻』によれば、屋根が無く、かなり大きな曳山だったようです。 「太郎山」「樽負山」とも呼ばれ、樽の中の御神酒(ご神水?)には疫病退散の力が宿っているのかもしれません。 寄付された見送「染彩猛禽之図」は皆川月華の作。 |
| 元治元年の火災で焼失。天保5年に小型の鉾に改造されて巡行に参加。 明治12年から17年まで徒歩囃子の形で巡行しましたが、その後途絶えていました。 昭和48年頃から復興の声が再び上がり、町民と壬生六斎会の支援で昭和54年に復活を遂げました。 |
| e京都ねっと(サイト運営・管理会社 株式会社トラット) 京都市中京区菱屋町41番地 |
京都観光に関するご質問は、口コミ情報満載の「掲示板」をご利用下さい |