九重の 花の都に住みはせて
はかなや我は 三重にかくるる
丹後半島の中ほどにある京都府大宮町の『妙性寺縁起』に伝わる小野小町辞世の歌である。
晩年の小町は天橋立への旅の途中で、三重の里・五十日(いかが・現在の大宮町五十河)に住む上田甚兵衛宅に滞在し、「五十日」「日」の字を「火」に通じることから「河」と改めさせた。すると、村に火事が亡くなり、女性は安産になった。再び天橋立に向かおうとした小町は、長尾坂で腹痛を起こし、上田甚兵衛に背負われて村まで帰るが、上の辞世の歌を残して亡くなったという。村人達は小町を篤く弔い、村の一等地に葬った。後に彼女を慕って深草の少将までもが現れて、この地で亡くなったという。
現在、この伝説に基づき、五十河地区の小町の墓周辺は「小町公園」として整備され、今年の秋に行われる「全国小町サミット」に向けてますます小町熱が高まっている。
うららかな春の1日、小町伝説を求めて、小町終焉の地と伝えられる丹後半島の大宮町を旅してみた。 |