島原口のバス停を過ぎ、大宮通を渡ると花屋町通りが少し北にずれていた。更に東へ。歩道を塞ぐように「新開街路碑」が立っている。 「この道は明治になってから作られました。」雪が更に激しくなってきた。右手は西本願寺の敷地だ。
慶応元(1865)年3月、新選組は壬生から西本願寺境内に屯所を移した。隊士の人数が増え、壬生の屯所では手狭になったこと、壬生郊外にあったため、市中取り締まりに不便を感じての移転だった。東北角の北集会所(姫路市の本徳寺本堂として現存)と太鼓楼が屯所に使われた。
集会所は現在の総合庁舎と参拝会館の辺りにあった。太鼓楼は当時と同じ場所に現存している。新選組は境内で豚を飼い、鍋を作ったり、軍事訓練をしたので、音や臭気で寺側では大変迷惑したという。
慶応3(1867)年6月に新選組は近くの不動堂村へと屯所を移しているが、移転費用は西本願寺さんが全面的にバックアップしたそうだ。金を払ってでも出ていってほしかったんやろな。壬生の八木家にも前川家にも、そして西本願寺さんにとっても、新選組の来襲?は大迷惑な出来事だったのだ。
又、明治になって島田魁が守衛として勤務し、72年の生涯を終えたのも西本願寺の境内である。
→西本願寺さんのホームページはこちら
住所:下京区堀川花屋町下ル
TEL:075−371−5181
拝観時間:5:30〜17:30
拝観料:境内無料 |

西本願寺太鼓楼。この辺りに新選組の屯所があった。時を知らせる太鼓が鳴り響いたという。

最近太鼓楼の説明板が立ったが、新選組屯所のことは一言もない。市内の説明板に新選組関係の文章が少ない。 |