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[祇園祭]祇園祭マップ




祇園祭では、「山」や「鉾」と呼ばれる山車が計32基登場します。
それらは中世の欧州や中国、シルクロードから伝えられたじゅんたんやタペストリー、
西陣織等で飾られ、「動く美術館」とも呼ばれます。

山鉾をじっくり鑑賞するなら、お昼間が良いでしょう。
夜、歩行者天国が始まると、新町通りや室町通りはまるで満員電車並みに混雑するからです。


山鉾についてもっと知りたい方はこちら!!!

鉾町周辺マップの印刷用はこちら

■鉾町周辺マップ
※▲は休み山です。


■ちょっとマニアックに巡るなら
平成女鉾」と「休み山」をご存じですか?
山鉾建て・曳き初めの日程はこちら

「平成女鉾」とは

祇園祭への参加を目指し、1996年に誕生した女性だけの囃子方による「平成女鉾清音(さやね)会」。
八坂神社より櫛稲田姫命をご神体として迎え、函谷鉾の囃子方の指導のもとで、日々練習を重ねています。
かつて、2005年まで開催されていた「京都まつり」では、鉾巡行で参加した事もあります。

2007年の3月、平成女鉾清音会10周年イベントとして、平成女鉾が新風館の中庭に建てられました!
これは2000年・2001年に京都駅ビルに建てられて以来のことです。

新風館を山鉾町に、来館者を町衆に見立てて、鉾の組み立てやお囃子を披露するというものでした。
各鉾町内の少子化や高齢化が進む中、老若男女を問わず祇園祭を愛する誰もが「町民」として関わることができる
平成女鉾の、まだ漆も塗られていない白木のままの清々しさは、未来を模索する祭の姿を象徴しているかのようでした。

現在、平成女鉾清音会は、毎年祇園祭の期間中の7月下旬頃(2011年度は7/31(日) 15時〜15時30分)八坂神社へお囃子を奉納しています。

お問い合わせ:sayane-k@a7shes.net
(平成女鉾清音会 事務局・京都市下京区四条通烏丸西入ル函谷鉾ビル4階)

「休み山」とは

天明、幕末の大火によって、その山や資料を焼失。
財政的、人員的な理由等で復活・運営が困難で、現在は巡行には参加せず、
焼け残った懸装品を飾りながら出番を待ち続けています。


2011年、大船鉾の胴体が9月に完成、2014年頃の巡行復帰が目標!
 
四条町大船鉾保存会は、くじ取り式に2010年からにオブザーバーとして出席、宵山での居祭では神功皇后の御神面も16年ぶりに祭られました。

 

2011年4月には祇園祭山鉾連合会の「33基目」の正式会員に迎えられました。
現在は、実際の巡行に使う大船鉾と忠実に再現された原寸大模型の製作が進められており、胴体部分が9月に完成する予定です。
船鉾より一回り大きい大船鉾の胴体は、完成後は京都駅前の京都ヨドバシビル内に展示され、他の部分もできあがった順に展示されていきます。

布袋山 大船鉾 鷹山
お飾り(居祭):7/1〜/17 お囃子:7/13〜/16
お飾り(居祭):7/14~/16
お飾り(居祭):7/15
布袋山 大船鉾 鷹山
かつての山がどの様な形態であったかは現在のところ不明ですが、『祇園祭礼巡行 図巻』によると、布袋さんのかぶり物で巡行に参加している様子が描かれているそうです。
噂によると、いつかその布袋さんの巡行参加を復活させようという動きがあるとか...?
7/1〜/13は山に関連するもの、7/13〜/17には布袋像と二童子が飾られます。

近年、布袋山の護符の版木が確認されました!
かつて後祭のトリを務めていたといい、その形は御神体の神功皇后の出陣神話に由来しています。現存する船鉾 「出陣の船鉾」に対して「凱旋の船鉾」と呼びます。
『増補祇園会細記』によると船首には龍の頭を飾っていたとか。
幕末の蛤御門の変による大火で大船鉾本体は焼失してしまいましたが、焼け残った懸装品等(2007年に市有形民俗文化財に指定)を飾る「居祭り(いまつり)」 は受け継がれていました。
10年程前から、町内の若手からの希望により、岩戸山の指導のもとでお囃子が復活しています。
お囃子は池坊学園、新町四条下ルの京都友禅ビル1階駐車場にてを聴く事ができます。
安産のお守りである腹帯も授与されます。
 
大船鉾に関するH.Pはこちら
「鷹匠」「樽負」「犬飼」の御神体が並んで飾られます。
この「鷹匠」と「犬飼」は、源頼朝、もしくは在原行平と言われ、真ん中の「樽負」は粽を食べているという、ユニークなもの。

『細川家絵巻』によれば、屋根が無く、かなり大きな曳山だったようです。

「太郎山」「樽負山」とも呼ばれ、樽の中の御神酒(ご神水?)には疫病退散の力が宿っているのかもしれません。

寄付された見送「染彩猛禽之図」は皆川月華の作。

 室町期に「だるま鉾」 があった!?
1637年の洛中絵図にも記載されている中京区の山田町(油小路通錦小路上ル)には、祇園祭の山鉾巡行に「だるま鉾(山)」を出していたと言われています。

同町で「祇園さん」と親しまれてきた八坂神社の分社は私有地のため2010年の例祭を最後に撤去されましたが、室町時代に現在の山田町がある地から、応仁の乱以前は「だるま鉾」、以後は「だるま山」として再興したいう記録が残っているそうでうす。
史料によると、1500年に再興した際、くじ取りによりだるま山が前祭の7番目に巡行したとあり、当時は前祭26基、後祭10基の計36基だったようです。

復活した休み山「綾傘鉾」

元治元年の火災で焼失。天保5年に小型の鉾に改造されて巡行に参加。
明治12年から17年まで徒歩囃子の形で巡行しましたが、その後途絶えていました。
昭和48年頃から復興の声が再び上がり、町民と壬生六斎会の支援で昭和54年に復活を遂げました。

一言コラム

8 長年京都に住んでいても、知らない事はたくさんあります。 上菓子屋さんも町かどのおまん屋さんもいっぱいあるはずなのに、手土産選びに毎回...[続きを読む]

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