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今さら聞けない坂本龍馬(雑学編)


今さら聞けない坂本龍馬 今さら聞けない幕末維新 龍馬と共に生きた人々

 

 
 

坂本龍馬といえば、日本中の誰もが知っている歴史上の人物。
熱狂的なファンが集う一方で「なんとなくしか知らない…」
という人も意外に多いのです。
そこで、教科書で習った坂本龍馬という人物と幕末の維新回天について、
もう少し詳しくおさらいしてみましょう。
黒船の来航からわずか15年の間に日本が大変革を遂げ、
龍馬が歴史の表舞台として活躍したのは5年ほどの事だったのです。



◆坂本龍馬データ
生年月日:天保6(1835)年11月15日(新暦で1836年1月3日)~慶応3(1867)年11月15日
出身:土佐藩(現在の高知県)



◆坂本龍馬を知るエピソード


筆マメ!

坂本龍馬は、現在確認されているもので140通近くのたくさんの手紙を書き残し、
その多くが京都国立博物館にも保存されています。
その文体は自由闊達、生き生きとしていて、龍馬の人柄を知るのに最適な史料です。

特に姉・乙女に送ったものが最も多いとされ「日本今一度せんたくいたし申候」という
有名な言葉は、勝海舟に弟子入りした頃に乙女に宛てた手紙の一文です。

「エヘン、エヘン」と自慢をしてみたり「ぶんとへ(屁)のなるほどやってみよ」と
ユーモアを交えながら姉を励ましたりと、行間に細やかな気遣いが垣間見え、
時には詳細な図解を交えるなど、物事を全体から見渡す視野を持ちあわせていた事も伺えます。

日本で初めての新婚旅行!?

寺田屋事件でお龍の機転により難を逃れた龍馬は、翌月にお龍と結婚し、事件の際に
負傷した手の傷の湯治を兼ねて3月にはお龍や西郷隆盛、小松帯刀と共に薩摩へ発っています。
彼らは温泉や観光地を巡っており、これが日本初の新婚旅行と言われています。

また、薩摩藩の小松帯刀も新婚時代に妻や義父と共に温泉旅行をしており、
日本初の新婚旅行をしたのは小松帯刀夫妻であったという説もあります。

龍馬の夢を託した海援隊

坂本龍馬を中心に結成された貿易会社「亀山社中」は後に
土佐藩の後藤象二郎との協力で土佐藩の外部組織「海援隊」として発展します。
伊予大洲藩から借りていた蒸気船「いろは丸」が紀州藩の船と衝突、沈没した事件で、
龍馬は「万国公法」という国際法律書を持ち出し巧みに交渉、紀州藩から賠償金を支払わせています。
海援隊の働きが薩長同盟に大いに貢献したように、龍馬は武力ではなく、
ビジネスによって日本を生まれ変わらせようとしたのではないでしょうか。
龍馬暗殺後、海援隊は戊辰戦争を経て解散されますが、
土佐藩士・後藤象二郎が海援隊を土佐商会として、それをかつて海援隊の会計役だった岩崎弥太郎が
後に九十九商会・三菱商会・郵便汽船三菱会社(後の日本郵船株式会社)・三菱商事などへと発展させ、
その夢は今も引き継がれています。

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