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京のお話

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市田ひろみさんの

京都論


最終回 私的・京都論

1945年(昭和20年)から京都に住んで、もうやがて50年になろうとしている。  

京都の学校を出て、大阪へつとめたり、また東京へいったり、その間、ひとなみにお茶お花をならい、たえず京都をはなれることなく、そして今も京おんなしている。
私の自宅は平安神宮の東。家の窓からは北に真如堂が見え、南から東にかけて東山がつらなる。丸太町通りからひと筋南へ入るだけで静かで、朝、六時に鳴る寺の鐘と蝉の声が目ざましだ。
大晦日もまた格別だ。知恩院、南禅寺、真如堂などいくつもの寺々から、除夜の鐘がひびく。高く、低く、遠く、近く、夜の闇にこだまし、さながら交響曲だ。
このところ、毎日36度、37度の真夏日で、寝苦しい熱帯夜がつづく。盆地だから風が流れない。汗びっしょりになりながら、この町の冷たさを想像しようと思っても無理だ。
京都には、その敷地二万坪、三万坪なんて寺がいくつもある。白砂を敷きつめた庭、何世紀も樹齢をかさねた樹々。 京都を心のふるさとと思ってくれている多くの人びとの期待を裏切って申しわけないが、四季が程よくめぐりくる町ではない。短い春、短い秋。よい時期が短い。
四月に入って、桜や山吹がいっせいに花をつけて、心地よい春の風がふきはじめたと思ったら、もう夏が待ちかまえている。 萩の花や、コスモスが風にゆれる秋もまた、無常に短くすぐに冷たい冬が来るのだ。
四条・新町の鉾町に育ったわたしは、一学期の学期末の試験を祇園祭の喧騒とお囃子の中で、歯をくいしばって勉強した。
今でこそ、エアコンがあるものの、ついこの間まで京の暮らしむきは、
「あつおすなー」「さむおすなー」と、さりげなくかわしながら、やりきれない暑さ、寒さとむきあってきたのだ
とりみださない。逃げない。
京の人は、なん世紀も夏と冬を詩情におきかえて、一見みやびに生きてきたのだ。
京都の四季は四等分にあると思うのはまちがいだ。
わたしが、京都の人間と知ると、たいていの人は、
「京都はよいですねー」と、いってくれる。
京都は、太平洋戦争で焼けなかったところだから、当然、歴史的遺産を多く残している。七九四年、都が京都に定められて以来、明治元年(一八六八年)まで一〇七四年間、都であったので、それにふさわしい歴史と時代をいろどった主人公たちの物語がある。 当然、観光地としてのセールスポイントはたくさんある。
だから、京都は他の観光地のようにあわてない。
最近は修学旅行もさまがわり、京都は修学旅行のメッカだったのに、今ではディズニーランド、ハウステンボス、函館・小樽など新しい観光地に流れてゆく傾向にある。
事実、京都には新しい観光地やモニュメントがない。せいぜい、太秦映画村だ。 たとえば、横浜が「港の見える丘公園」「大佛次郎館」「人形の家」など、ゆかりのものをみな観光の目玉にした。
神戸もすごい。六甲の山をけずって、ベルトコンベヤーで土をはこんで、人工島を造った。北にある異人館も港町にふさわしい。安くて美味しい南京街もにぎわっている。 あの山口県の津和野も小京都と称してにじりよりながらも、今では立派な「おいでませ、山口へ」と頑張っている。
京都は動かない。
川端道喜のちまき。
午前中に行かないと手に入らない。午後に行ったって、
「すんまへんなー」
これだけ美味しく、売れるのだからもっと作ればよいのに。
丹波の白菜の漬物の美味しいこと。いつも母が朝早くから行列に並んで買う。
「もっとかんたんに買えないのか。」
「どなたさんも並んで待っておくれやっさかいに」
それはそうだ。ぬけがけはあかんのだ。こうして、ほしい人は文句もいわずに並ぶのだ。並んで待たせていることも、ほしがっている人がいることも知っていながら、間口をひろげない。昔ながらのやり方をつづける。
これはとりもなおさず商品にたいしての絶対の自信だ。
「宣伝せんでも、来てくれはんのどっせ」
という孤高の姿勢だ。大阪商法と基本的にちがうところだ。
とはいっても、どんな仕事でもどんな店でも、よいときもあれば辛いときもあるはずだ。しかし、ほんまの京都の人は顔に出さへん。「しんどおすわあ」といいながら、にっこり笑っている。ほんまにしんどそうには見えない。
しんどう、見られたら負けや。
京都の人は並列で、バランスよく共存しているときはよいが、そのバランスをくずすと難しくなる。「出る杭は打たれる」のたとえの通りだ。
なにが辛いといって、敵が誰なのかわからないのが辛い。
とにかくうわさされているのだが、誰がうわさしているのかわからない。見えない敵が誰であったのかを知るのは、ずっとあとだ。
そのころは、こっちのくやし涙もかわいて元気にやっているから、もうさわぎたてるのもめんどうだ。無用のエネルギーを使うつもりもない。「あっ、そうだったのか」と思うだけだ。
この現象はある種の牽制球なのだ。さわぎたてないに限る。
京都はせまい。けんかしたら終わりだ。孫の代までつづいてしまう。
旗印をはっきりしないことこそ、長年の京都の人の賢さだ。
京都の伝統工芸もまた、こだわりをもって守り伝えられている。合理的な生き方をはじきのける不器用さと、その一方で迎合しない頑さ。
そこに京都流・京風といわれる文化が保存される空間がある
のだ。
「京のぶぶ漬け」に代表されるような、あきらかにすんなりとはいかない、いいまわしの難しさ。
京都が変わらないこと、動かないことはハンパじゃない。
しかし、そのたやすく動かないことこそが、京都が京都たりえているところだ。

ひと言では説明することのできない、京都の魅力と難解さ。 しかしそれが京都の底力であり、いつまでも「みやこ」であり続けるのでしょう。

市田ひろみ著『京の底力』 ネスコ文芸春秋より

まとめ:e京都ねっと 小山



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