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私の書道の雅号は「桃風」といいます。 ときどき個展を開きますが、あるとき見ず知らずの人から電話がかかってきました。「個展を拝見しました。つきましてはちょっとお目にかけたいものがあります。」「なんでしょう?」「いや、ちょっと・・・」。 忙しいのに困ったなと思いましたが、お目にかかることになりました。
その方は、風呂敷包みを大事に抱えて訪ねてきました。 なにが入っているのだろうと見ているうちに、風呂敷包みをそろーっと解くと、出てきたのはぼろぼろの紙に包まれた桐の箱で、中にお軸が入っていました。 壁に掛けてみると、それはそれは美しいひらがなでした。 その方は「小野道風(おののとうふう)のうつしですねん」。「お勉強しはるのやったら、どうぞ使うておくれやす」とおっしゃいました。 いえいえ、めっそうもない、もったいないことです。 「うつし」とはいえ、江戸時代の目利きによるしっかりした鑑定書のついたものなのです。
小野道風は平安時代に活躍したのですが、実物を、間近に見る機会はあまりありません。 うつしとはいえ、とても貴重なものなのです。 わたしの号「桃風」にちなんでもってきてくださったのです。「これほど立派なものを、今までよくもっていらっしゃいましたねえ」と感心すると、「なんぼ暮らしに困っても、売ったらあかん、あっこから道風のうつしが出た、といわれるようなことだけはせんといてくれ、とおやじからいわれているのです」。さすがです。
京都ではときおり「○○さんの家から李朝の青磁がようけ出たらしい」という話を耳にします。 それがうわさになって「なんや、お困りなんやろか」となって、余計な詮索をされてしまうことがあるのです。 京都では、200年、300年、それ以上長く続いている家がいくらでもありますから、一家にひとつ、といっていいほど先祖伝来の家宝を抱えています。 暮らしむきが悪くなっても、戦禍に巻きこまれても、なんとかやりくりして今日までもちこたえてきたものばかりなのです。それだけに、伝来物が売りに出たと聞くと身につまされる思いと同時に、あんたの代で手放したらご先祖さまに申し訳がないではないか、という非難にもつながるのです。
祇園祭のさなかに、秘蔵の屏風を並べるところがあります。 300年、400年の昔から家に伝わる屏風を表座敷に飾り、その日に限って近所の人たちにお見せするのです。 毎日毎日、火の元に気を配り、傷つけずに次代に伝える努力をしつづけるお家の人たちの苦労を思うと頭がさがります。
古くから伝わるものは、そのものの価値に「歴史」と「所持者の思いと細心の注意を払った管理」という付加価値がついてくるのです。 ただ単に古ぼけたものとして捉えるのではなく、時間の流れをその中に読み取れるようになりたいものですね。
市田ひろみ著『京の底力』 ネスコ文芸春秋より
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