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保守的な京都の街では目立つとたたかれる
目立つとたたかれるのは世の常。 私も若いころはいろいろいわれました。 どうして私だけそんなことをいわれないといけないのか、いいようのない悔しさが募りました。 ここが人生の分かれ道だったのです。
「そんなにつらいのやったらやめとき」もしも、あのときに親がそういっていたら、どうなっていたかわかりません。おそらく今日の私はなかったでしょう。 しかし、弱気になっている娘に、うちの親ははっぱをかけました。「負けたらあかんで」「見返したらいい」親は私にそういいつづけました。悪口をいいかえしたり、仕返しをしたり、そんなことに労力を注ぐのではなく、力をつけて、仕事で見返せばいいというのです。
それは賢いやり方だと思いました。 どんな悪口が耳に入ってきても、私は悪口を言った本人に、「あんた、なにいうてんの?」と面と向かっていったりはしませんでした。 そんなことをいったら、私に「あの人がこういっていたよ」とこっそり教えてくれた人の立場が悪くなってしまうからです。人間関係に亀裂が入るような騒ぎを起こしたら、狭い京都では今後、仕事を続けていけないことくらいわかっていました。(見返したらいい) そう思って、悪口が聞こえてきても、知らん顔をし、私は自分のやるべきことをやるようにしました。
さて、結果はどうなったかといいますと、その当時、陰で私の悪口をいっていた人も、今ではまるでそんなことはなかったような涼しい顔で、「ひろみさーん、元気か?」と私に声をかけてくださいます。 それを見ると、「あぁ、これでよかった」と思うのです。 今にして思えば、私を支えてくれた人だけでなく、私に意地悪をした人も、今の私を育ててくれたのだと思います。 悔しい気持ちに耐えたり、それを乗りこえていく強さも、人の成長にはある程度は必要だと思えるのです。
市田ひろみ著『京の底力』 ネスコ文芸春秋より
思えば、自分を批判した人こそ大事なことを気づかせてくれていた、という経験が私にも何度もあります。
その時は腹立たしいと思っていたのに、時を経るとだんだん理解できてくるようになるのは不思議です。
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