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「京美人」という言葉がありますが、京都には本当に美人が多いのでしょうか?
鴨川で産湯をつかい、その鴨川の水は軟水だから肌がきれいな女性が多いという説があります。 でもほんとうは、京都のうなぎの寝床みたいな日当たりの悪い家にいたから「色白の美人」が生まれた、という説もあります。こっちのほうが信憑性は高そうです。
しかし「東おとこに京おんな」といわれるように、きっぷのいい江戸の男性にたいして、しとやかで物腰の柔らかい京都の女性との組み合わせが理想ということならば、京おんなの評価は風貌よりも、素養に向けられていたのではないでしょうか。 身のこなしの女らしさ、品の良さなど、学習して身につけたものを指していると思うのです。 都の空気にふれて育った女性あか抜けもしていたでしょうし、教養レベルも高かったはずです。
ごく普通の家でも、嫁入り前の娘にはお茶やお花、書道、日本舞踊をはじめ、いくつものお稽古に通わせるのは当たりまえですし、京都の花街がほかの土地のそれと一線を画していたのも教養を武器にした女性が揃っていたからでしょう。芸妓も容色よりはまず芸のウデ。廓(くるわ)の太夫にしても、上流の武士や大名を相手に和歌を詠んだり囲碁の相手をしたり、並の人間をはるかにしのぐ芸と教養を身につけていたのです。
そして京都の女性がしとやかで奥ゆかしく、芯がしっかりしているというのは、日頃からきびしくしつけらたからです。
この世をば わが世とぞ思う望月の かけたることもなしと思えば
これを詠んだ藤原道長は、一条天皇の御代に自分の娘を四人までも入内させ、太政大臣にまでのぼりつめました。 歴史をたどれば平安の昔から、女性は家の繁栄のカギでした。 お行儀、マナーはもちろん、芸事から日常の気配りまで周到な教育をほどこして「どこへ出しても恥ずかしくない」女性に育てあげ、玉の輿の機をうかがったのです。
最近の玉の輿狙いのお嬢さんとは努力のレベルがちがいます。 とくに老舗の家にくるお嫁さんは品格、教養ともに万全でなければいけません。 それはもう皇室みたいなもので、好きあっているから一緒になるという単純な動機からではないです。 しとやかでおとなしく、一見かよわそうに見えますが、感情的にならないのが京都のおんななのです。 夫がパニックに陥っても、一緒になってバタバタとはしません。大事な家を守っていくために、、どんなときも冷静で、夫をいさめ相談にのる賢いパートナーなのです。
戦後は女性の大学進学率もあがりましたが、それだけ女性は賢くなったかといわれるといささか疑問です。時代が変わった、自由になったといっても、迷子の女性がたくさんいます。 学校いっても目的がなければ知識もつかない、それに知識ばかりが教養でもありません。 お化粧上手、ブランドファッションでとりつくろったところで、玉の輿にのれるものではないのです。 ほんとうに魅力的な女性になりたいのなら、京おんなの心根だけは忘れてはいけません。
市田ひろみ著『ええ女の作法 四十四の極意』より
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