|
明治5年、京都の底力が発揮されたのはこのときでした。時の京都府知事・長谷信篤が、西陣の職人さん三人に新技術習得のために海外出張を命じたのです。行き先はフランスのリヨン。当時、世界最高の機械織り技術を持っていた都市です。船でインド洋からスエズ運河を通って、地中海からマルセイユ、そして陸路でリヨン―ちょっと考えただけでも気が遠くなりそうな長旅を、織り屋さんたちは使命感に燃えて旅立ったのです。
織物のメッカだったリヨンで一年間修行して、ジョセフ・マリア・ジャカールが発明した紋紙をつかった模様織り機械の技術、ジャカード織を習得してきたのです。「ジャカード」というのは、発明者ジャカールがなまってそう呼ばれるようになったのです。帰国後、そのジャカード織機の音が西陣の街にとどろきました。画期的な産業革命だったと思います。それまでは空引機といって、大きな織機の上と下で、職人が二人がかりで縦糸と横糸を操っていたのです。十二単や礼装の束帯など、皇族関係の人たちやかぎられた人たちのためだけに作られていた、いわば布地のオートクチュールです。それが、そのジャカード織機を使うことで、手仕事が機械でできるようになり、紋紙をつかって模様織りの大量生産が可能になったわけです。
「京都は保守的」とか「京都は腰が重くて」などと、とかく東京の人は、京都を型にはまったものと見ます。でも、京都をよく知ったら、少し考えかたが変わると思います。都市としての危機をいくつも乗り越えた町だからこそ、機敏に対応する一面もあるのです。たとえば、日本で最初に作った水力発電所は京都です。その電力で市電を走らせたのも京都。シネマトグラフの上映も、キリスト教の学校も、京都が最初です。全国に先がけてさまざまな近代化を遂げ、外国の思想や文化にいちはやく関心をよせています。伝統が重たい分、新しいものに寛容なところもあるわけです。
ただ新しいものを取り入れるだけならば、それは流されるというのです。だからこそ、過去の都市にならなかったのではないでしょうか。京都には、1000年の文化と伝統が新しいものと一緒に息づいているのです。ここが京都人の知恵です。伝統を大切にしながら、ここぞという場面で進取の気性を発揮する。東京遷都で二十数万人に人口が減った京都が今、140万人の大都市として独自の道を歩んでいるのも、この京都人気質があればこそです。
さて、明治時代にジャカード織機を取り入れた西陣の今は、というと―。さすがにコンピューター化が進んで、また新しい技術革新を遂げています。ジャガード織りで息をふき返した西陣ですが、この織機では紋織をするために紋紙を必要としました。紋紙は紋彫りといって、模様に合わせてピアノマシンで紋紙に穴を穿(うが)ちます。一本の袋帯を織りあげるにはこの紋紙が一万枚も二万枚も必要となります。それがいまや、フロッピーディスク四、五枚に収められるようになりました。 たいへんな技術革新です。こうしたコンピューター化は、もう三十年以上も前から研究が進んでいるのです。
ところで、きもの人口は減っていても、じつは面白いところに西陣織が使われているのです。どこだと思います?劇場です。帝国劇場はもちろん、大劇場の緞帳はほとんど西陣で作ります。海外では、ブラジルのサンパウロやリオデジャネイロの劇場といったところから注文が入ります。クリスチャン・ディオールの傘やバッグの生地も西陣で織っています。そういえば、ヨージ・ヤマモトさんもパリのショーで西陣織を使って話題になりました。 世界的にすぐれたデザイナーは、ちゃんと京都を見ているのです。
面白いのは最近腕一本の職人気質の機屋さんが、「金の値段がなんぼや」「プラチナの値段がなんぼや」など、取り引き相場を気にしています。金箔やプラチナ箔を織物に使っているので、国際相場の動きが機屋さんにも影響するからです。細い路地の奥で作られる伝統工芸も、世界の相場とともに動いているのです。
日本だけを相手にしたのでは生きのびられない。これは、西陣や京都だけにかぎらないことです。
市田ひろみ著「京の底力」 ネスコ文芸春秋より
|