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「いつもの元気な声とちがいます。疲れてはる。いま、音羽の滝まで行ってお水をいただいてきましたさかいに、お荷物になるとは思いますけど、これ飲んどくれやす」
音羽の滝は清水寺のある音羽山の湧き水で、知恵をさずけるとか、長寿にも霊験あらたかといわれ、水垢離(みずごり)をする人や、わざわざお水を飲ませてもらうために訪れる人がたくさんいます。 そういう貴重なお水なのです。
その日は近鉄百貨店できものの着付け教室を午前一回、午後に二回公開講座として開いておりました。おばあさんは、どうやら午前の講座にいらしていて、「おや、なんや枯れ声や」と気遣ってくださったのでしょう。おばあさんの足で音羽の滝まで行くのはたいへんなことと思います。教室を見て、家に帰って五合びんを洗い、音羽の滝までお水を汲みに行き、重たいびんを抱えて山をおり、再び近鉄百貨店まで運んで下さったのです。他人のわたしのために、おばあさんは骨を折ってくださったのです。なかなかできることではありません。もううれしくて、感謝で涙が出そうになりました。
狭い地域にお寺や神社を無数に抱え、お寺の隙間にできたような街が京都です。大きさ、建築様式、実際世界でも有数のものがたくさん。 今、なん万坪という敷地にそんなものを建てようと思っても、できるはずありません。環境は人を育てます。 うさぎ小屋に住んでいれば、人間がせちがらくなるのもしょうがないもの。京都に暮らしていると、生活の中にもしぜんと神仏の魂が宿ってくるのでしょう。 おばあさんのやさしさも、そんな京都の町ではぐくまれたものと思います。
功徳を積むといいますが、誰がするのか、京都の町かどのお地蔵さんは、いつもきれいに清められ、お花やお水が絶えません。 この町には庶民信仰が生きているのです。1200年の歴史から京都が得たものは、伝統芸術や複雑な人間関係の解決法だけではありません。たくさんの寺社の魂も受け継がれているのです。 いけずなだけ、プライドが高いだけと、見られているかもしれませんが、じつは古都の風景が人々の心にやさしさをもあたえているのです。
マナーや言葉遣いができていても、そればかりでは人間的な魅力に欠けるものです。 お墓まいりをしたり、近くの小さなお寺さんにでかけたり、時折ご先祖のことを思い出されて小さな功徳を積む。 些細なことでも、心が落ちついて人にやさしくなれるものです。
私の家の近くに南禅寺や真如堂があり、清々とした空気が漂って心が洗われます。 南禅寺は禅宗のお寺で、托鉢のお坊さんの姿をよく見かけます。 十人くらいで「ぅお〜」と声を上げながら歩いていくのです。子どものころ、その声が聞こえたら母から「ほれほれ、早うもって行き」とお布施をもたされました。最近のお坊さんは、足がとっても速い。 「ぅ……」とかすかに聞き取り、急いで出て行くのですが、「……お〜」のころには、すでにずっと向こうの道の角を曲がるところ。 お布施を渡すのも必死です。
市田ひろみ著「京の底力」 ネスコ文芸春秋より
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