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「わたし、お茶を全く知らないのです」。
その朝、お茶のお点前なんて全く知らないまま裏千家にお邪魔する自分の場違いさを重々承知しながら、恐る恐る伊住さんの待つ茶美会(さびえ)文化研究所へと向かった。 どうしていいかわからないわたしに、伊住さんはひとつひとつ丁寧に説明をしながらお茶を点ててくれた。
まず、お菓子のいただき方から。
「黒文字(お菓子を食べるために付いている楊枝)は、そのままお使いください。 お菓子は何回切って食べなきゃいけないとかはありませんので、気にしないでください。」 わたしの食べ方がいけないせいで、ひざの上にお餅についたきな粉を落としてしまうと、伊住さんがさっと近づいて、ハンカチできな粉を払ってくれた。
次に、お茶をいただく。
どうやって茶碗を回していいのか迷っているわたしを見て、「きもち、正面をよけるという、それだけでいいんです(茶碗の景色のいい所に口をつけないため)。自分に出されたところが、正面だと思ってください。」と、また伊住さんが助け船を出してくれた。
「あまりそういう細かいことに気を取られていると、大事なことがわからなくなるんです。一服のお茶が点てあがるのに、例えば、お湯加減をしてその前にはおいしい水をちゃんと用意。 ずいぶんと手がかかっているわけですよ。 正面とか手続きとかを気にして、なんやわからんうちに飲んでるとですね、せっかく点てていただいたおいしいお茶の味がわからなくなる。 それじゃ、本当の意味での亭主と客のコミュニケーションができていないということになる。そればいちばんよくないことなんです。 あまり気になさらないで楽にしてください。」
伊住さんの言葉で、心持ち肩の力が抜けたが、わたしにはまだ、亭主の趣向に関心を寄せるほどの余裕がない。本当にもったいない話だと、我ながら思う。そして、さらに、無知な質問を続けてしまった。「あのう、何回で飲みきったらよいのでしょうか」「(薄茶は)何べんで飲んでもらってもかまわないんですよ。そして、泡を吸うんです。 吸い切りというんですが、それは、あとで、茶碗を拝見したりするときに、中途半端に飲んでいると、こぼれちゃったりするもんですから、それを防ぐためにしておくものです。」
クリ―ミーで口当たりのよいお茶は、苦いとばかり思っていたお抹茶への、わたしの中の先入観を履して、無事飲み終えることができた。 よく「結構なお点前でした」という場面を見るが、本当に、とっても結構においしいお茶だった。 その味は、まるで心の肥やし、と言ったらいいのだろうか。 わからないながらも、お茶を一杯飲むのにも、そこに心が必要である、ということだけは理解できたと思う。
素人であっても、ベテランであっても、「茶を楽しむ・慎んで味わう」という心が一番大切だと思った。
上村多恵子監修、河村遥・渡辺一雄著
『とっておきの京都案内 京都物語』 山と渓谷社より
上村多恵子
京都出身。 京南倉庫(株)代表取締役。 京都経済同友会常任幹事。 実業家として活躍する一方、京都のルネッサンス運動を目指す。 また、詩人であり、エッセイなどの創作活動も行っている。
河野 遥
ライター。 東京出身。
渡辺 一雄
作家。 京都出身。 長年のサラリーマン生活をもとにした企業小説などの作品多数。 長年住んでいる京都の造詣も深い。
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