| 霊雲院 |
岐陽方秀が1390(明徳元)年に開創しました。江戸中期に住持の湘雪守元に帰依した熊本藩主細川忠利・光尚父子から、遺愛石と銘づけた須弥台と石船を書院前庭に贈られました。枯山水の庭は、戦後重森三玲氏の手で復元され、遺愛石を須弥山として置いた「九山八海の庭(霊の庭)」と、桃山様式という二階建て茶室・観月亭から庭が観賞できる「臥雲の庭」の二つがあります。
- 拝観期間:常時公開
- 拝観料:大人300円
- お問い合わせ:075-561-4080
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「九山八海の庭(霊の庭)」に吸い込まれるように歩を進めると、中央に据えられた遺愛石に目が留まります。 |
| この遺愛石を須弥山に見立て、九つの山と八つの海から成るという、古代インドからの仏教観における全宇宙を表しているようですが、私には噴水から水が溢れ出る泉の様に見えました。なんだか、水の音が聞こえてきそうな気がしませんか? |
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このお庭が仏を中心とした世界だとしたら、この遺愛石が仏、白砂で表された水紋は満ち渡る仏の教え、それによって周囲の木々等の生き物が生かされている…という見方もできるかも?
その仏の世界とは対照的に、一旦視線を屋内に移すと、このお寺には戦争の名残が。 |
♪スキマ情報♪
明治37〜38年、日露戦争中にロシア人捕虜が東福寺に1500人収容されており、この霊雲院にも50人が8ヶ月間を過ごしていたそうです。(この境内に50人も…)
その捕虜達は、ここで楽器等を作って楽しく暮らしていたのだとか。戦後、帰国する記念に置いて行かれたそれらのものと、記念撮影の写真が展示されていました。
後で知ったのですが、その捕虜達からの影響で、日本で始めてトランプを製造したのが、かつて花札やかるたを製造していた任天堂なのだそうです。
また、幕末には勤王の僧・月照と西郷隆盛がここで密議を交わしたともいい、こんな静かなところに、色んな面白いエピソードが詰まっているとは、思いもよりませんでした。 |
| 再び視線を庭園の右側に戻すと、「臥雲の庭」が。 |
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この、ぐるぐると渦巻く雲を色違いの砂紋で表現する手法はもしや…やっぱりそうでした!戦後の庭園研究家・重森三玲氏によって「九山八海の庭」と共に、復元されたものでした。 |
奥にある観月亭は、2階建てがちょっと珍しいお茶室。
豊臣秀吉による北野大茶会の時のものを移築したものとのことでした。
こんなお茶室が、北野天満宮に即席で建てられていたのでしょうか!?凄い。 |
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