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| 建仁寺について・アクセス | 建仁寺を歩くコース | 建仁寺データ |
| 常光院 | 正伝永源院 | 方丈(本坊) | 法堂 | 茶席・東陽坊 | 両足院 | 開山堂 |
| 三門 | 浴室 | 禅居庵 | 摩利支尊天堂 | 勅使門 | 霊洞院(僧堂) | 六道珍皇寺 |
| 祇園の南側エリアにある建仁寺。 境内の内にも外にも幾つか塔頭がありますが、普段から公開しているところは僅かです。 特別拝観や催しがある時のみ公開していたりするので、e-kyotoをこまめにチェックして、チャンスを逃さないで下さいね! |
| 正伝永源院 | |
| 正伝院は鎌倉時代の文永年間(1264〜75年)、宋国より来朝した建仁寺第12世紹仁義翁が晩年建仁寺内に創建した寺ですが、天文以来荒廃していたのを1618(元和4)年織田信長の弟である織田有楽斎によって再興されました。永源庵は正平年間(1346〜70年)、建仁寺第39世無涯禅師を開山とし、細川頼春の菩提寺として東山清水坂辺に創建されましたが、1398(応永5)年現在の地に移ったと伝えます。 明治維新の際に永源院に合併されました。 有楽斎は千利休に師事し、現在各地に有樂流の茶道が受けつがれています。愛知県犬山市に織田有楽斎ゆかりの茶室「如庵」が復元されています。
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建仁寺のポスターを見て、「“○△□乃庭”って何??」と思われた方もいるでしょう。 これがそのお庭です。 |
| 木の麓に○、井戸が□、そしてこの画像の手前が△の形をしています。 説明書きによると、これらの単純な図形は宇宙の根元的形態を示し、密教の6大思想(地水火風空識)を地(□)水(○)火(△)で象徴したものとも言われているのだそうです。 地と水と火…どれも私達にとって欠かせないものですね。 |
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| ♪スキマ情報♪ この大きな天井画は北海道にある小学校の体育館で描かれ、構想から約1年と10ヶ月かけて完成されました。 |
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二匹の龍は争っているのではありません。共に協力し合いながら仏法を護っているのです。 また龍は「水の神」でもあるので、修行僧に仏法の教えの雨を降らせているのだと考えられています。 ひんやりとした、荘厳な空気は、この龍の力によるものなのかもしれませんね。 |
| 無事、門のロックを解除して方丈に戻ります。 広さが気持ちいい枯山水の前庭「大雄苑」。 白砂のまぶしさと、方丈の暗さが対照的。そのちょうど真ん中に人々が腰を降ろして お庭を眺めています。 |
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まるでさざ波、あるいはせせらぎの音が聞こえてきそうな砂紋です。 外国人の男性が手を頭の後ろに回して寝転び、しばらく目を閉じていました。 まるで波打ち際のよう。 |
| ついついお庭に目が奪われてしまいましたが、方丈の中に目をやると、橋本関雪筆の「生々流転の図」が。 今にも波に呑まれそうな小さな丸太の上に一羽の鳥がとまっています。 禅寺の方丈では、屋内の襖絵と外の枯山水庭園とが連動して一つのイメージを構成しているパターンをよく見かけます。 |
| ♪スキマ情報♪ 大正〜昭和に活躍した橋本関雪の記念館が銀閣寺の近くにあります。 |
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| ここからまた一旦外へ出ます。 | ||
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