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京を歩こう!「歴史コース」

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北条時宗「京紀行」


蒙古襲来をテーマにした2001年の大河ドラマ『北条時宗』はとてもスケールが大きい。舞台も鎌倉、博多、海の向こうは蒙古、高麗まで広がっている。果たして京都は出てくるのだろうか?

主人公の時宗自身は、幼い頃、父・時頼と旅の途中に、九条家の墓のある東福寺に立ち寄ったくらいだったが、準主役の時宗の庶兄・時輔(ときすけ)が六波羅探題南方に追放されたことをきっかけに、京都も舞台の一つとしてクローズアップされてきた。「御所言葉」を自在に操る公家達も相当なインパクトを与えている。

今回の歴史散歩では、時宗の兄・時輔ゆかりの地を中心に京都の史跡を巡ってみることにした。


時宗紀行 人名事典 その他の史蹟 年表
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時宗紀行コース
地図
クリックすると源氏物語の地
拡大地図になります。
地下鉄今出川駅
  ↓(徒歩5分)
京都御所・近衛邸跡
  ↓(徒歩15分)
京阪丸太町駅
  ↓(京阪電車5分)
京阪四条駅
  ↓(徒歩7分)
建仁寺
  ↓(徒歩5分)
六波羅蜜寺
  ↓(徒歩2分)
六波羅探題跡
  ↓(徒歩10分)
六波羅探題南方付近
  ↓(徒歩20分)
東福寺
  ↓(徒歩7分)
京阪東福寺駅

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近衛邸跡の枝垂桜の新緑
春には幽玄の花が咲く

近衛基平。ドラマの中でお公家さんでありながらお上の前で切腹というびっくり仰天のことをしでかした熱い関白殿。(しかも時輔の介錯付き!・・・実際は病死だったらしい。)

その近衛さんのお屋敷跡が京都御苑内にある。今出川御門の南西、児童公園の西側に枝垂桜の新緑が美しい場所がある。ここが近衛邸跡。今は近衛池周辺の庭園しか残されていないが、かつては立派なお屋敷が建っていたという。春になったら櫻が綺麗だろうな・・・。22歳で逝ってしまった基平には、桜の花がよく似合う。

近衛池
近衛家の庭園にあった近衛池

京都御所は春と秋に一般公開されるが、それ以外の参観は申し込み制。蒙古への対応をめぐって、お上や麿様達が連日のように会議を繰り返していた。御所内の雰囲気を味わいたい方は往復葉書で申し込みを。

・・・でも、鎌倉時代と現代とでは、御所の位置が違ってたよな、確か。文化博物館で聞いてみたところ、御所は実に50回以上も移っているのだそうだ。時輔六波羅南方にいた6年間にも二条殿〜五条殿〜冷泉万里小路殿間を仮御所として実に6回も移転している!亀山天皇もお引越し、大変だっただろうな。五条大宮にあったという五条殿なら六波羅探題からも御所はわりと近そうだ。

京都御所
京都御所拝観は普段は予約制
春秋には一般公開される

畿内の警備、西日本諸国の裁判、そして朝廷との折衝が主な役目だった六波羅探題時輔(南方)や時茂(北方)、義宗(北方)ら北条家の探題さん達も何度も御所を訪れたことだろう。鎌倉武士の彼らにとって、服装も言葉づかいも違うお公家さん達と折衝するのはさぞかし骨が折れたことだろう。ほんまにお疲れ様<m(__)m>

住所:京都市上京区京都御苑三番 宮内庁京都事務局 参観係
御所参観方法:往復葉書に参加者全員の住所氏名年齢性別を書き上記へ
御苑内は自由
アクセス:地下鉄今出川駅より徒歩5分


建仁寺
建仁寺の勅使門は
六波羅探題の北門と言われている

『北条時宗』に登場する日蓮より50年ほど前に臨済宗を起こした栄西が京都に建てた寺が建仁寺。栄西は中国よりお茶を持ち帰ったことでも有名で、参道にはお茶の木が植えられている。

『時宗』関係で注目したいのが勅使門六波羅探題の北門と言われている。間口8mほどの重厚な門だ。

住所:京都市東山区大和大路通四条下る4丁目小松町584
境内自由
アクセス:京阪四条駅より徒歩7分


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空也上人開基の六波羅蜜寺。
この辺り一帯は平安末期には
平氏の居館が立ち並び、
承久の乱後には北条氏の
六波羅探題が置かれた。

空也上人開基の六波羅蜜寺。この辺り一帯は平安末期には平氏の居館が立ち並び、承久の乱後には北条氏の六波羅探題が置かれた。

六波羅、というと六波羅蜜寺を思い浮かべる方も多いだろう。平安中期に空也上人が開いたお寺。平安末期には平氏の居館が立ち並び、鎌倉初期には源頼朝の京屋敷になっていた。そして承久の乱(1221)後には鎌倉幕府により朝廷を監視するため六波羅探題が置かれた。

宝物館には有名な空也上人像と平清盛像が安置されている。こちらの方もお見逃しなく!

→六波羅蜜寺のホームページはこちら

住所:東山区松原通大和大路東入ル
拝観時間:8:00〜17:00
拝観料:宝物館:500円/境内自由
アクセス:京阪五条駅より徒歩6分


六波羅探題跡碑
交通事故による2本の亀裂が
痛々しい六波羅探題跡碑

「此付近平氏六波羅第跡 六波羅探題府」と掘られた石碑洛東中学の門の中の植え込みにある。前回行った時は校門が閉まっていたのだが、今日は開いている!

中に入って写真を撮っていると「熱心やなー。」とおじいさんに声を掛けられた。話によるとこの六波羅探題跡碑、以前は校門の前に、更に前は西側の道路脇にあったそうだが、2度の交通事故で安全な校門の中に移されたそうだ。良く見れば碑には2箇所の亀裂が走っており、事故の爪あとが痛々しかった。

住所:京都市東山区六波羅洛東中学内
アクセス:京阪五条駅より徒歩3分


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生バナナジュース(¥380-)には
キャンディーが付く

六波羅蜜寺の東にe京都ねっとの掲示板でも話題になった喫茶店「六波羅風水」がある。ここの名物はコーヒーぜんざい(¥450-)。この日は残念ながら売り切れだったが、次回こそ挑戦したい。ティーぜんざい(¥450)もある。この日は生バナナジュース(¥380-)を注文。なぜかキャンディーもついてきてかわいらしい雰囲気だ。

風水カレー(¥680-)など何やら魅力的名前の軽食類もある。朝早くから夜遅くまでやっているので、六波羅付近でひとやすみしたい方にはおすすめのお店だ。

住所:東山区六波羅南通東入多門町154
TEL:075-532-1410
営業時間:7:45〜21:30
定休日:なし


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当時、鴨川以東は
「もののふの町」と言われていた

時輔の赴任先、六波羅探題南方は今で言うとどの辺りだったのだろうか?「六波羅」というと、現在の六波羅=六波羅蜜寺周辺を連想しがちだが、そこは北方で、今の五条通を境に北方と南方に分かれていたらしい。『坊目誌』によると六波羅南方は北は六条坊門末(現五条通)、南は六条末(現正面通)、西は大和大路 、東は東京極大路(現東大路通)に囲まれた地域だったそうだ。南北の六波羅探題のあった鴨川東の地域は得宗家をはじめとした武士の居館が立ち並び、「もののふの町」と呼ばれていた。南方跡には、現在では豊国神社、方広寺、京都国立博物館などが立っている。一歩小路を入れば、鴨川からの涼しい風にそよぐ柳・・・。現在はのどかな町並みが続いているが、17歳の時輔が赴任してきた文永元(1264)年ころは荒れ果てていた。何せ前任者の北条時盛が辞めてから22年間、南方は無人だったのだ。

豊国神社
豊臣秀吉を祀る豊国神社も
元南方の敷地内にある

六波羅南方は北方よりも下位に置かれ、慣れない朝廷との折衝に若い時輔はとまどったことだろう。何せ相手は、言葉も服装も考え方も全く違うお公家さん。それでも長く六波羅にとどまるうちに麿様達のあしらいも慣れてきた。1270年、北方の時茂が亡くなってからは時輔も相当力をつけてきたと思われる。

文永9(1272)年2月15日午後6時頃、六波羅から火の手が上った。時輔の南方屋敷が燃えている!4日前、鎌倉で「時宗を廃し、兄・時輔を執権に!」という名越流北条氏の企てが発覚!京都の時輔にも謀反の疑いが掛けられ、時宗の命を受けた六波羅北方の義宗に討たれた。世にいう二月騒動である。

方広寺の「国家安康」の鐘
方広寺の「国家安康」の鐘
いつの世も争いは絶えない・・・

北条時輔、享年25歳。6代執権時頼の長男ながら妾腹に生まれたばかりに、苦難に満ちた短い生涯だった。時輔の墓所は不明。

「時輔逃げて吉野の奥に立ち入りて行方知れず・・・。」

真偽の程は定かではないが、『保暦間記』という書物はそう伝えている・・・。

場所:五条通・大和大路・正面通・東大路通に囲まれた地域?
アクセス:京阪五条駅より徒歩5分


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七条から歩いて東福寺へ。(京阪電車では1駅)大河ドラマでは子供時代の時宗が父・時頼に連れられて東福寺にある九条家のお墓参りをする場面があった。通天橋や九条家の墓らしき宝篋院塔が写し出されていたのだが、一体どこで撮影していたのだろう?

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東福寺最勝極楽院への参道。
奥に見えた十三重の石塔は
九条家の墓だろうか?

塔頭寺院のお坊さんに伺ってみると、何と、「東福寺の場面は実は鎌倉で撮影したようです。通天橋も合成映像です。九条家の墓は最勝極楽院にありますが・・・。」とのお答え。時頼役の渡辺謙達は東福寺には来ていなかったのだ!ちょっと残念・・・。しかし、九条家の墓があるという最勝極楽院の墓地へは行ってみた。長い参道を抜けて見たものは、「関係者以外立ち入り禁止」の札。柵の向こうに石塔が見えたが、九条家の墓だろうか・・・。

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東福寺六波羅門は時輔のいた
六波羅探題南方の門を移築したもの

がっかりするのはまだ早い!東福寺の六波羅門は時宗の兄・時輔のいた六波羅探題南方の門を移築したものなのだ。場所を先ほどのお坊さんに伺って六波羅門に向かうと、意外に新しそうな門だった。瓦は近年葺き替えられたものだろう。しかし、節くれ、黒ずんだ柱をよく見てみると、鎌倉時代からの年輪が感じられるようだった。間口も狭く、約3mくらいだろうか?大河でも時輔が赴任した頃の六波羅南方の荒れ果てた様子が映し出されていたが、門もこんなに小ぢんまりしている。先程建仁寺で見た六波羅の北門に比べてかなり小さい。

この門はきっと、二月騒動の顛末も見てきたのだろう。時輔謀反の真偽も、その後、本当に亡くなったのかも・・・。真実は、小さな門だけが知っている・・・。

住所:京都市東山区本町通
境内自由
アクセス:京阪東福寺駅より徒歩7分


『北条時宗』京紀行の取材では、新たな発見が多かった。六波羅探題南方は現在の六波羅より更に南にあったこと、御所も短期間の間に二条〜五条間を何度も移転していたこと、本文では触れなかったが、二月騒動の6日前に時輔義宗の南北六波羅探題が連れ立って後嵯峨上皇を見舞っていたことなど、調べれば調べるほど面白くなっていった。大河ドラマもこれからが山場。史実とはちょっと違うストーリーになりそうだが、これからの展開を楽しみに見守って行こう。

(さんぽ/渡辺 芭雨)

時宗紀行 人名事典 その他の史蹟 年表
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※このページの掲載情報は、取材時のものであり、現在のもの、歴史上の事実とは異なる場合がございますので、ご了承下さい。参考としてご覧頂きますようお願い申し上げます。




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