八坂神社外観。 インドの祇園精舎にちなんで昔は 「祇園社」と呼ばれていたそうだ
長楽寺坂を下りて右手に折れ、円山公園に入る。祇園祭の山鉾収納館の前を通って鳥居をくぐると八坂神社だ。
拝殿の東側に「忠盛灯篭」と書かれた一基の石灯篭が建っている。
白河上皇は寵愛する祇園女御の所に通う途中、化け物に遭った。お供の平忠盛(清盛の父)が化け物の正体を灯篭に火をつけようとした法師と見破った。上皇は忠盛の冷静さを褒め称え、褒美として祇園女御を賜った。この時、彼女は妊娠していてその子が清盛だったと『平家物語』は伝えている。
八坂神社境内奥の忠盛灯篭。 忠盛は化け物の正体を見破った褒美に 白河上皇よ祇園女御を下賜された。
この時の灯篭が八坂神社境内の忠盛灯篭とされている。実際には忠盛の時代よりも少し後の鎌倉期のもの。しかし、夜、灯りがともったら、化け物と間違えるかもしれない雰囲気を持っている。
住所:東山区祇園町
境内自由拝観
ホームページ>八坂神社
忠盛灯篭から徒歩3分くらいの円山音楽堂の向かいに祗園寺という納骨堂が建設中だ。最近までこの場所に「祇園女御塚」があったそうだが・・・。
附近で花を売っていたおじいさんに尋ねてみると、工事の際に取り除かれてしまったそうだ。よくある落胤話かもしれないが、清盛の母ともされる祇園女御(実際には彼女の妹が母とも)ゆかりの史跡がなくなってしまったのは残念だ。
彼女の意志とは関係なく、過去には白河上皇から平忠盛にまるで物のように譲り渡され、現代でもゆかりの史跡が工事によって取り除かれ、祇園女御は泣いているに違いない。
「平家物語東山ツアー」もここで終わり。盛者必衰。やるせない気持ちを抱えたまま、祇園のバス停に向かった。
平家一門の光と影を見た、平忠盛、清盛、徳子の親子三代から清盛の犠牲になった高倉天皇と小督局、源氏方ではと朝日将軍・木曽義仲と弓の名手の那須与市、皇室では絶大な権力を誇った後白河法皇ら、『平家』が織り成す人間模様。ゆかりの史蹟をめぐりながら、「盛者必衰」の歴史を堪能した1日だった。
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