藤森神社本殿。 宝物館内の伏見の古地図は必見!
京阪墨染の駅を出て直違橋通(旧伏見街道)を北へ300mほど行くと藤森神社がある。勝負の神を祀る紫陽花の美しい神社だ。
境内に宝物館がある。きれいな作りなのに見学料は志納、ということ。嬉しい限りだ。流鏑馬神事が行われることから馬の博物館を併設しており、全国各地の馬の置物が展示されている。平安時代〜幕末までの刀剣や鎧、そして戊辰戦争で使用された鉄砲も展示されていた。新選組も鉄砲には苦戦した。どんなに大きいものかと思ったら意外に小さいので驚いた。必見なのが天保年間に描かれたという伏見の地図。藤森神社をはじめとして近藤勇が撃たれた付近にあったという尾州藩邸、薩長軍がここから砲撃したという御香宮、新選組が陣を敷いた伏見奉行所も描かれている。これから行こうとしているスポットの昔の姿をしっかり確認しておこう。
住所:伏見区深草鳥居崎町609
TEL:075-641-1045
境内自由
宝物館拝観時間:9:00〜16:00
宝物館見学料:志納
現在の墨染の町並み。 近藤はこの辺りで撃たれたのだろうか?
慶応3(1867)年12月18日夕刻、近藤勇が二条城からの帰り、御陵衛士の残党(先日油小路で頭の伊東甲子太郎ら4人を新選組に討たれたばかり)に伏見街道墨染の辺りで狙撃される事件があった。右肩に銃弾が当たり、相当重傷だったようだが、近藤はそのまま馬を走らせ、自陣である伏見奉行所まで戻った。お供の隊士の石井勇之進と馬丁はその場で斬殺されている。近藤はこの時の傷が原因で大坂で療養生活を余儀なくされた。
さて、近藤が狙撃された場所はどこだったのだろう?御陵衛士の残党達は藤森神社の南北に分かれて挟み撃ちにしようと鉄砲を用意し、墨染の民家に身を潜めていたという。すると藤森神社付近だろうか?しかし薩摩藩の報告書や元御陵衛士の阿部十郎の証言によると墨染から約1km南の伏見街道丹波橋筋付近(現在の国道24号線沿い、市バス丹波橋バス停付近)だったとも言う。街道が屈曲している尾張藩邸付近、という証言(ここは藤森神社で見た伏見の古地図によると丹波橋付近に重なる。)もある。近藤遭難の地の決め手が見つからないまま、藤森神社〜丹波橋まで伏見街道沿い(直違橋通〜国道24号線)を歩いてみた。
藤森神社本殿。 宝物館内の伏見の古地図は必見!
途中何人かの人に「新選組近藤イサミの撃たれた場所はご存知ありませんか?」と聞いて回ったが、「近藤イサムの撃たれた場所ねえ、知らへんなあ。」の返事しか返ってこなかった。余談だが、京都の年配方は近藤の名前を「イサミ」ではなく「イサム」と発音される。祇園などの花街には「近藤イサムが・・・♪」という歌が芸妓達の間で歌い継がれているそうだ。「近藤イサム」、京都弁なのだろうか??
話が横道に逸れたが、近藤狙撃地点は「ここや!」という確定はできないままに終わってしまった。今までうろついてきた伏見街道沿いの藤森神社〜墨染〜丹波橋のどこかで撃たれたということしかわからず、心にもやもやを抱えたまま、24号線を更に南下した。
住所:伏見区旧伏見街道沿いの墨染〜丹波橋付近
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